公正な医療アクセス阻むグローバル製薬企業 ⑥
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◉ 製薬企業への市民社会の運動
WTOでの対立が続く中、米国では2020年11月の大統領選にてバイデンが勝利、今年1月に同政権が誕生した。選挙前後から、国際市民社会の運動の焦点は、米国政府の姿勢を変えることにシフトした。
まず繰り広げられたのは、大手メディアでの論争だ。2020/12/07、の「NYタイムズ」では、進歩派の経済学者であるディーン・ベーカー氏やインドの経済学者アルジュン・ジャヤデヴ氏らが「ワクチンを一番手にいれたいのか? 知的財産権の一時停止を――さもなければ豊かな国にも十分に普及する製品数は足りなくなる」との論考を共同執筆し、知的財産権の免除を呼び掛けた。
一方、11月19日、「ウォール・ストリートジャーナル」は編集委員会の文責にて、インドと南アフリカの免除提案を「特許の強盗だ」と非難し、先進国に沿った記事を掲載した。さらにベーカー教授rへの反論として、国際製薬団体連合会(IFPMA)事務局長トーマス・クエニ氏は、「ワクチン特許のルールを停止することのリスク」を同じ「NYタイムズ」に載せる。途上国政府のみならず国際市民社会の主張に全面的に反論した。
こうした攻防の中、ジャーナリストのナオミ・クラインが主宰するインターネットメディア「The Intercept」は、途上国の提案を受け入れないようにと、製薬企業が100人以上のロビイストをワシントンに送り込んでいた事実を暴露し、その利益追求の姿勢を厳しく批判した。
米国市民社会では、医療団体や患者支援団体の他、貿易協定に関わる団体や環境団体、労働組合など多様な層がこの運動に参画した。1990年代のHIV/エイズ医薬品問題でも多くの市民が力を発揮したが、今回の米国市民社会の運動は一層強固で幅広いものとなったと感じる。
その理由は、①米国自身が世界最大のコロナ感染者数の国となり、一時は人工呼吸器やマスクなど必須製品が不足するという経験から、多くの人々に医療アクセス問題が「自分ごと」として深く刻み込まれたこと、②TPP、USMCAなどの貿易協定の中で、知的財産権が強化される流れに対して一貫して反対してきた運動の蓄積、そして、③バイデン政権の誕生で、市民社会の要求や提言が政策に反映されることへの期待と責任、だと筆者(内田聖子)はみている。実際、民主党の敗北によって生まれたトランプ政権の四年間は、気候変動対策の後退、ジョージ・フロイド事件に代表される差別と暴力の黙認、2021年1月の議会乱入事件に象徴される民主主義の危機など、米国市民社会は辛酸をなめ続け、それを転換するため今回の大統領選に最大限の力を注いできた。そうした大きな潮流の中に、パンデミック時の公正な医療アクセスを求める運動が位置づけられたのだ。
市民社会組織は、民主党内の国会議員とも強く連携し、次々と新たな動きやキャンペーンを繰り広げていった。バイデン大統領自身は、オバマ政権の副大統領時代、TPP協定を含む自由貿易を推進してきた。コロナ対策も国内向けが中心で、製薬企業などグローバル企業への規制については態度を鮮明にしていなかったため、当初は知財の免除提案にも反対し続けると見られた。ところが、民主党の内側からバイデンを突き上げる勢力が続々と現れ始めたのである。バーニー・サンダースやナンシー・ペロンなど有力議員の他、急先鋒となったのがジャン・シャコウスキー下院議員だ。国会議員を12期努める77歳の彼女は、米国での医療保険制度の拡充や大企業・富裕層への課税、女性の権利向上などを主要課題としている。これら議員が中心となり、110名の下院議員が連名でバイデン大統領に知財免除に賛成するよう求める書簡を突きつけた。
2021年4月、キャンペーンは最大の山場を迎えた。市民はファイザーなど製薬企業の本社前でデモを行ない、オンライン集会も頻繫に開催された。NGOや労働組合だけでなく、医療エッセンシャル・ワーカーや国会議員、元政府高官も運動に参加した他、航空業界の代表なども積極的な発言をした。コロナ禍で大打撃を受ける業界にとって、一刻も早い感染収束は企業活動の生命線だ。こうした企業も味方につけつつ運動は最高潮に達した。
そしてついに5月5日、米国通商代表部(USTR)代表キャサリン・タイが、「米国はインド・南アフリカの知的財産権の免除に賛成する」との文書を公表した。誰もが目を疑ったこの発表は、インターネットを通じて一瞬で世界中に拡散され、「山が動いた」「市民社会と民主党議員による快挙」と、各国の市民社会は大きく沸き立った。1980年代以降、世界の貿易ルールを牽引し、企業の利益を優先し続けてきた米国政府が、途上国の要求に耳を傾け、その態度を大きく変えた、正に歴史的な瞬間だった。
運動を主導した団体の一つ、パブリック・シチズンのロリ・ワラック氏は、この判断を次のように称賛した。
「バイデン政権はビッグ・ファーマよりも人命を守ることを優先するため、知財免除の支持を発表しました。世界中の人々にもたらされた前例のない脅威に直面し、前例のない行動が取られるのです。何十年もの間、USTRは製薬企業の代理人として、ジェネリック医薬品を望む国を叩くことを仕事としてきました。『自由貿易』という名の下で行なわれる、企業による保護主義政策だ。製薬企業のロビイストたちは、動転し、脳震盪を起こして病院に駆け込んでいることでしょう。何故なら、USTRが製薬企業に対抗して、人々の健康のために立ち上がるということは、かってない劇的な瞬間だから」。
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