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2021年10月 4日 (月)

人間と科学 第327回 植物と薬と人間(5) ①

苦い豆と甘い豆の話

斉藤藤 和季(理化学研究所環境資源科学研究センター長)さんの小論を載せる コピーペー:

 私(斉藤)の専門分野は薬学の中でも植物科学に関係した生薬や薬用植物、植物バイオテクノロジーについての研究だ。この生薬学という言葉はPharmakognosie(独)/Pharmacognosy(英)を明治時代に訳した造語であるが、これはもともとギリシャ語に由来するPharmaco(薬の)とgnosy(知識学) (gnosis=知識) に由来する。

 従って、これを直訳すると「薬の知識学」ということになり、実は薬の知識学たる薬学は元来生薬学から発展したものであることがよく分かる。事実、近代薬学の黎明は1804年頃のドイツの薬剤師(「化学者(ケミスト)」と呼ばれている)ゼルチュルナーによるアヘン(ケシ未熟果の乳液乾燥物)からの鎮痛性成分の本体であるモルヒネの単離に端を発する。

 このように薬用植物からの薬理活性本体の単離は、日本においても薬学の黎明と発展の基礎であった。日本で最初の近代薬学者・長井長義は、1885(明治18)年に生薬「麻黄」から鎮咳成分であるエフェドリンを単離し、その化学構造も決定して、その後の化学合成を含む医薬化学研究の基礎を築いた。ここまでは教科書などにも書かれているよく知られた事実であるが、実は長井長義はその4年後の1889(明治22)年に生薬「苦参」から主アルカロイド成分であるマトリンを単離した。「苦参」とはいわば苦い薬用人参という意味で、たしかにマトリンなどの含有アルカロイドに由来する極めて苦い味を呈する。

 しかし、このマトリンの化学構造決定は困難を極めた。東京帝国大学(現在、東京大学)薬化学教室の初代教授である長井長義から第2代近藤平三郎教授へと引き継がれ、その弟子である津田恭介教授(東京大学応用微生物学研究所)が平面構造を決定し、さらにその弟子である奥田重信東京大学教授が、長井長義の単離から77年後の1966年にその絶対構造を決定してようやく決着がついた。

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