気候崩壊と脱成長コミュニズム ⑦
続き:
収奪からケアへ
資本主義は、グローバルサウスから収奪し、労働者から搾取してきただけでない。ここで重要なのが、セクシズムを利用した女性からの収奪だ。資本主義は、女性の生殖能力に対する管理権を奪い、家事労働やケア労働といった社会の再生産に不可欠な労働にタダ乗りすることで、より「効率的な」経済成長を遂げてきた。このセクシズムのせいで、女性が担う再生産労働は価値を生まない非生産的労働として、低くみなされることになる。性的分業は女性労働者の待遇を押し下げたのみならず、一連の再生産を生産に従属させ、ケア活動を経済的にも周辺化し、女性を依存的な存在にした。
こうして資本主義では、再生産・ケア労働が劣っており、非自立的なものとみなされる価値観が形成された。一方で、賃労働は様々な再生産労働に依存しているにもかかわらず、自立的なものとみなされたのである。現在、ケア労働が置かれている過酷な労働環境は、セクシズムを温存してきた資本主義の必然的帰結だ。
だが、そうやって、エッセンシャルなものを周辺化して、不必要なものを大量に生み出して経済成長を優先してきた資本主義社会がいかに脆弱かが浮かび上がっている。コロナ禍や気候危機で、再生産労働やケア労働――家事労働、農業、教育、看護、介護、ゴミ収集――のエッセンシャルワークとしての重要性が認識されるになっているのはその兆候。
だが、ケア労働の重要性に注目せざるを得ない状況は、新自由主義のせいで、ケアが全般的な危機に陥っているからでもある。そもそもケア実践は資本の論理と相性が悪い。人間、動物、植物の生物学的に規定されており、資本にとっては遅すぎる。また、ケアは相手に規定される。相手の必要とするものを理解して、信頼関係を築く作業は、マニュアル化し、機械的にさばけるものではない。ケアの効率性を無理やりあげれば、事故や虐待の原因にもなる。こうして、資本はたえず効率性を上げ、生産性を増大させていけばいくほど、ケアはますます効率の悪く、非生産的なものとみなされる。
ケアの危機を前に、脱成長という視点を取り入れるエコフェミニズムは、社会における相互ケアだけでなく、まさに「地球のケア」、つまり自然を維持・再生するような「再生産力」全般が資本主義のもとで軽視されてきた歴史を批判する。生産力ではなく、再生産力を高く評価する認識への転換には、グローバルサウスの女性や先住民による自然のケア実践を包括したケア革命が必要だ。
こうしてエコフェミニズムの視点に立てば、反セクシズム、反資本主義、反対レイシズムは必然的に統合されることになる。
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