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2021年12月24日 (金)

新自由主義から福祉国家へ ④

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 貢献原則に基づく所得のうち、労働所得は各人の労働能力に比例し、資本所得は各人の資本所有(財産)に比例する。労働能力と資本所有は個人差が非常に大きいのに対して、各人の生存に必要な生活費の格差はそれほど大きくはない。それゆえ一般に低所得者(無所得者も含む)は所得が必要生活費よりも少なく、健康で文化的な最低限度の生活をいじするためには社会的に扶助される必要がある。これが相互扶助における必要原則つまり必要に応じた給付の根拠だ。他方で高所得者は所得が必要生活費よりも多く、余剰所得で他人を扶助する能力がある。これが応能負担原則つまり能力に応じた負担の根拠となっている(新村・田上編『平等の哲学入門』28~29p参照)。

 分配の公平に関する二大原則である貢献原則と必要原則の優勢順序は、新自由主義と福祉国家の最大の違いの一つである。新自由主義のもとでは貢献原則が必要原則よりも優先され、貢献に比例する所得分配が基本であって、基本的必要の充足が不十分でも自己責任の問題として放置されがちだ。他方、福祉国家では必要原則が貢献原則よりも優先され、基本的必要の十分な充足の上で貢献に応じて所得が分配される。

 この優先順序は、自助と公助、あるいは自己責任と公的責任(公的支援)の優先順序として言いかえることもできる。次女の基礎には貢献原則が、公助の基礎には必要原則がある。新自由主義は自助を公助よりも優先し、福祉国家は公助に支えられて自助を基本としている。新自由主義のもよでは自己責任が基本であり、公的援助は自己責任への補足にすぎない。他方、福祉国家では、自己責任の有無にかかわらず、健康で文化的な最低限度の生活に欠かせない基本的必要充足への公的支援が大前提となっている。

 かって、英国首相ブレアによって福祉国家と新自由主義の総合をめざす「第三の道」が提唱されたことがある。この第三の道を政治哲学的に基礎づけようとしたのが、ドウォーキンの「運の平等論」である。この見解によれば、自己責任が基本であり、自己責任を問えないような偶然の不運に対してのみ公的支援を行うべきである。これに対してアンダーソンは、無謀運転のドライバーが事故を起こした場合に、自己責任だからといって公的医療サービスを給付しないのかと批判した(苛酷性批判)。この事例には、自己責任を基本とする新自由主義や第三の道と、自己責任の有無にかかわらず基本的必要充足への公的支援を優先する福祉国家の考え方の違いが端的に示されている。

 くり返して言えば、問題は格差の有無ではなく、公助と自助、すなわち必要原則と貢献原則の優先順序だ。基本的必要充足への公的支援が最優先されるべきであり、全ての人の基本的必要が十分に充足されて健康で文化的な最低限度の生活が実現していれば、それを超える水準について、貢献に比例する所得の格差があっても批判する人はほとんどいないであろう。

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