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2021年12月20日 (月)

気候崩壊と脱成長コミュニズム ⑧

続き:

人新世の大変革に向けて

 資本主義は自らに好都合なように、階級格差、レイシズム、セクシズムを編成し、グローバルノースにおける経済成長を可能にしてきた。こうした観点から歴史を捉え返せば、資本主義の方が、自然に負債を負い、労働者たちに負債を負い、女性に負債を負っていることが判明する。だが、これらの負債を返済・弁償するという観点は、緑の経済成長というプロジェクトに欠けている。それでは、経済成長を求め続けることで、新たな採取主義を強め、これまで以上の採取や収奪を強化することになりかねない。そしてこれこそ、先進国の白人男性富裕層――ベゾスやゲイツ――に都合のいい GND に容易に転嫁してしまう理由である。

 必要なのはこの資本主義という差別システムに抜本から挑戦し、別の関係性を作り出すことである。それを目指すのが「脱成長の「反植民地主義」・「新たな快楽主義」・「ケア革命」なのである。

 だが、選挙で政治家が脱成長を掲げることがあり得るろうか?ここでは、アイルランド大統領のマイケル・ヒギンズが次のように述べたことに注目する。

 

 地球上での持続可能で、公正な生活のために求められる二酸化炭素排出の緩和を実現するために、私たちが真剣になるなら。だとすれば、求められている資源利用のデカップリングが達成されない場合には、私が[中略]提唱しているポスト資本主義、環境社会的な未来は、脱グローバル化、脱商品化、さらには脱成長さえも追及するという政策や困難な選択を含むのである。

 

 そのような脱成長に向けた具体的な政策提案はすでにいくつもある。労働時間短縮、公共交通機関の拡充、市街地での車両制限、飛行機移動やガソリン車への課税。所得税や金融資産課税の強化、炭素税や贅沢品の税金の導入。工業的畜産の制限、ビルの高度制限・大型不動産課税など。

 だが、この程度であれば、最近では、トマ・ピケティやケイト・ラワースのような経済学者でさえも言っている。だから、もう一歩、敢えて踏み込もう。コミュニズムだ。危機を前にして、マルクス主義哲学者スラヴォイ・ジジェクも「戦時コミュニズム」の必要性を説く。なぜ、不人気なコミュニズムなのか。

 それは、私的所有が地球の未来を犠牲にするからだ。私的所有を神聖・不可侵のものとし、それに付随する「自由」と「平等」をリベラルが受け入れ続けるのであれば、人新世の破局は避けられない。だが、私的所有にそこまでの価値はない。

 化石燃料関連の施設は強制閉鎖し、飛行機移動に制限をかけ、SUVなどの大型車を禁止する。最大年収も制限すべきだ。「切迫感が乏しい」提案に聞こえるだろうか。私たちはそのことを真面目に検討しなければならないような前代未聞の危機に直面している。誰がコロノ禍前にロックダウンが可能だと思っていただろうか?気候崩壊は間違いなくそれ以上の危機だ。

 資本主義の経済成長主義を突破し、持続可能なポスト資本主義へと転換できるか。不可逆的な変化を前にして、残された時間はあまりにもわずかである。だが、SDGsが免罪符的な形とはいえ大きく広がり、世界では環境危機への対策を求める声が無視できないような規模になっているからこそ、資本主義そのものを転覆させるようなグローバルな運動と理論をますます積極的に展開していくべきなのだ。

 投票だけでは足りない。行動すべき時である。

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