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2021年12月22日 (水)

新自由主義から福祉国家へ ②

続き:

2 平等とは何か、平等と公平の違いは何か

 平等は、一見したところ単純に見えて、実は非常に複雑な概念だ。以下では、平等とは何かを説明したあと、しばしば混同されがちな平等と公平はどう違うのかについて考える(新村聡・田上孝一編『平等の哲学入門』社会評論社、序章「平等とは何か」参照)。

 平等とは何であろうか。人間はさまざまな属性を持っている。二人の人間が平等(均等)とみなされるのは、他の属性が異なっていても特定の属性が等しい場合である。たとえば二人の異なる人間の所得・資産・健康が等しい場合に、二人の所得・資産・健康は平等または均等であると言われ、等しくない場合には不平等または格差があると言われる。つまり平等または不平等は、人間の多様な属性のうち特定の属性に注目して比較する場合に初めて言えることである。従って平等を論ずる場合の重要な問いは、「何の平等か」つまり人間の多様な属性のうちどの属性に注目して比較するのかという問題だ。

 次に平等と公平はどう違うのかを考えよう。誰でも平等と公平が違うことは知っているが、どのように違うのかを説明することは必ずしも容易ではない。平等と公平が異なることをはっきりと示すのが、「悪平等」批判だ。たとえば二人の労働者がいて、2時間働いた労働者と3時間働いた労働者に同額の賃金を支払うことは悪平等であり不公平であると言われる。この場合には賃金の平等と公平が対立している。多くの人々は、労働の効率がほぼ同じならば、労働時間に比例して異なる金額の賃金を支払うこと(つまり賃金総額の不平等)が公平と考える。

 たとえば2時間働いた者に2000円を支払うならば、3時間働いた者には3000円を支払うべきであると。注意点は、ここには賃金総額における2000円と3000円との不平等と、賃金率における時給1000円の平等(これが公平と考えられている)とが共存していることである。結果の不平等と比率の平等の共存と言ってもよい。

 ここに示された二種類の平等についてさらに考えよう。第一の平等は、賃金総額が等しい場合のように、何かの数量または属性が等しいことであり、記号では A=B と表現できる。この種類に属するのは、数、重さ、権利、自由、機会などが等しい場合だ。これはアリストテレスが「数の平等」(数が等しいという意味)と呼んだものであり、単純平等、形式的平等、絶対的平等などとも呼ばれる。因みに、二種類の平等を歴史上初めて区別したのは、古代の哲学者のプラトンとアリストテレスである。

 第二の種類の平等は、時給が等しい場合のように、ある数量と他の数量が比例することmたは比率が等しいことであり、比例的平等と言われる。記号では、A:B=C:D と表現できる。比例的平等(比率の平等)には、賃金率、利潤率、利子率、税率などの平等が含まれる。以下で説明する「貢献に比例する所得」と「必要に比例する所得」はいずれも比例的平等である。

 以上、プラトンやアリストテレス以来の二種類の平等の区別について説明した。現代の日本語では二種類の平等をしばしば用語でも区別しており、第一の単純平等は「平等」、第二の比例的平等は「公平」と呼ばれることが多い。たとえば自由の平等や権利の公平とは言うが、自由の公平とか権利の公平とはあまり言わない。他方で、賃金率や税率の比較では平等よりも公平が用いられることが多いのだ。

 

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