神奈川県の歯科医師の体験記 ①
続き:
1. A 歯科医師(神奈川)
Profile
横浜の西部に位置し、東名高速、保土ヶ谷バイパス、首都高速などを利用でき、みなとみらい地区や横浜駅まで電車、車で 15分くらいの交通の利便性の高い地域にあります。しかしながら、高齢者比率が市内第 2 位の地域でもあり、昼間は老人ばかりが歩いているようなところです。古い街という理由だけではなく、大病院が 30分以内に 8つもあり、医療体制が充実し都内からのアクセスも良く、高齢者の流入人口も多いためです。ここは、ビル 1 F.に内科と並列している。近年、患者さんも高齢化し、ニーズに沿って訪問歯科もしている。インプラント、歯周治療も行っていますが、予防と一般歯科治療が、同割合です。歯科衛生士 2人、歯科助手 2人で、一日 20人弱の患者さんを診ている。
自己紹介
1959 年生まれ。東日本大震災津波で有名になった宮城県石巻市出身。H 医療大学歯学部卒後、横浜駅東口と伊勢佐木町の開業医に勤務した。卒後 5年、横浜市旭区に、現在の歯科医院を開業。歯科医師会の役員、歯科衛生士学校の講師や助手学校の講師を経験、2校の学校歯科医も。所属学会は、臨床歯周病学会、額咬合学会、日本嚥下障害リハビリテーション学会、障害者歯科学会、日本スポーツ歯科学会、日本嚥下医学会会員等でです。
スタッフ紹介
高校を卒業してから、10年間の歯科助手経験を経て、当院に勤めながら、歯科衛生士の資格を取ったベテラン衛生士(勤続年数20年超)、自分が講師をしていた衛生士学校時代にアルバイトにきていた教え子(勤続年数8年)、受付・助手は、教え子の母親で勤続年数15年、そして、もう1人、結婚した長女が手伝いに来てくれています。昼飯をスタッフが作るので、”おなじ釜の飯”を皆で食べている、家族同様のスタッフです。
Q. 歯科医になった理由は?
父親が転勤族のサラリーマンで、家族は苦労したので、医療関係なら自分でできるやりがいのある仕事と考えた、物を作ることや描くこと、何より、人が好きであることがこの道を選んだきっかけ。
Q. 最初の歯科治療は、いつ頃 その状況 きっかけ
HIV 陽性者は 2 年前より、横浜市立市民病院の感染症科からの紹介。もともと HIV 診療の受入れ医療機関として登録していた。診療の受入れの可否を問われたので、受けただけ。それまで、むしろ、そういう打診がなかったので、診ていなかったという感じ。
Q. その最初の治療しての感想は?
不安はあった。わかっていても、正直なところ抜歯などの観血的処置等があった場合はどうしよう、断ろうかと思った。しかし、それ以外の処置なら、メンテナンスを含め、普通の治療ができると思っていた。普通の患者さんと同じです。
Q. 支障をきたす、問題は、また、それの対応、今でも続けている配慮は?
あえて支障と言えば、その患者さんのために時間を多めに取ったり、できるだけ他の患者さんとバッティングしないこと、診療中の会話や全般通じて HIV に関する言葉やプライベートな部分には、できるだけ触れないようにし、患者さんご本人にも不快に思われないように配慮したことです。ましてや他の患者さんには、聞かれたくないので、診療に関することだけを丁寧にお話していたと思います・特別扱いはしていないけれど、特別扱いされていると感じられないような配慮にスタッフとともに気を配りました。HIV の知識がない他の患者さんは、誤解から怖がることがあるかもしれないので、他の患者さんのみえるときには、特に注意を払いました。診療については、もともと感染対策を徹底して普通の診療をしていたので、問題となることはありません。
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