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2023年1月10日 (火)

国際交流だより 世界標準と日本標準 ④

続き:

■ニュアンスと翻訳機と映画

 現時点で英語とスマホを使えないと国際的な人間にはなれない。英語は挨拶程度、買い物程度は誰でもできる時代になった。

 2022年現在、翻訳機の進歩は目覚ましいものがある。特に日本語からの英語、英語からの日本語はかなり正確になったといえる。また、翻訳機能には数十の言語を翻訳する機能も見られるようになった。

 しかし、翻訳機に日本語で、「そんな事が、起こらないこともない」と入れると「Such a thing cannot happen」と入れると、「そんなことはあり得ない」と出る。この微妙な日本語のニュアンスは伝わることはない。

 私がカナダのトロントに留学した35年前、指導教授夫妻の前で、自分の妻をへりくだって言う日本語で紹介すると、「そんなことをいうものではない。君は自分の妻を愚弄するのか」と言われた。翻訳機に「彼女は愚妻です」、と出る。

 中曾根元総理が、英語の演説で「fuitful talk」を「ruit talk」と言い間違えたことがある。「実りある対話」が、、「果物の対話」と誤理解されたのは有名な話である。

 私の趣味の一つに映画鑑賞がある。英語が上手く使いこなせるよう、字幕付きの映画以外は基本的に観ない。しかし、その字幕は明らかに翻訳者の意訳が飛び交い、そのまま英語のニュアンスを翻訳したのでは、面白くないのである。馬鹿にした顔で俳優が「yes」と言えば「当たり前だろ……」と訳す。

 結論として、私は英語で質問され不安な時は必ず、自分の Japanese English で聞き直すことにしている。

■最後に

 会話に使う言語は学問でなく、道具だ。金槌がなければ釘は打てない、タービンがなければ歯は削れないなら、外国人と話すのに英語がなければ話せないのである。世界において立派な Janese English が世界の歯科界(口腔界)を席幕することを望んでやまない。

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