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2023年10月 2日 (月)

人間と科学 第351回 歴史散歩 医学の眼 リーダーたちが病気になった時(6) ③  

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 しかし、各国間の利害対立で会議は紛糾し、調停に疲れ切ったウイルソンは 1918 年 6 月にワシントンに戻った。だが、アメリカ議会は国際問題に関与しないモンロー主義が根強かった。そこで、国民に直接国際連合の重要性を訴える全国キャンペーンに出発した。9 月の暑い季節の鉄道での遊説旅行で、62 歳の彼には体力的には厳しい旅となった。

 9 月 26 日、西部ロッキー山脈麓のコロダド州でよろめき、言葉が不明瞭になった。翌日、今度は顔の左半分が麻痺して口元から唾液が垂れて顔が歪み、次の日には左半身の手足も麻痺してきた。講和会議以来のストレスの連続の果てに、進行性の脳梗塞が起きたのだ。

 講演旅行を中止し、ワシントンに戻った 10 月 2 日には、左半身の完全麻痺と感覚脱失、意識障害、尿閉鎖、呼吸困難と心不全など、病状は悪化していた。大統領は意識が少し戻ると、病名を発表しないように言ったという。

 右の大脳半球の症状などで失語症はない。主治医や他の著名医師の進言は「辞職は大統領の闘病意識を失わせることになり、今までも政治問題の相談に乗ってきたイーディス夫人が密かに代行をすべき」だった。主治医は、大統領に精神的負担をかけないようにと、政務書類や新聞を目に触れさせなうように指示した。

 大統領の病状に疑問を持った国務長官が、国家のために直接会いたいと言ったところ、夫人は「私は国家のことなど考えていません。夫のことを考えているのです」と答えたという。副大統領への権限移行の議論では、夫人は、誰が職務遂行不能だと判断するのだと抵抗し、主治医判定を拒否した。

 つまり、公式には大統領は執務しているはずだが、実態はベッド上で全く職務不能状態であった。夫人は個人的野心からではなく、夫の回復を願ってホワイトハウスを取り仕切り、国政に関する声明や文書作成は、彼女と主治医と側近だけで行ったという。この間、ウィルソンは「十四か条の平和原則」と国際連盟提唱の功績で、1919 年度のノーベル平和賞を授与されている。

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