日記・コラム・つぶやき

2021年9月22日 (水)

パンデミックと大学 ⑦

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  新たな可能性に踏み出す

 そこで重要なるのが、たった一つの大学が命を賭けて踏み切ることではなく、社会全体が望ましいと思える方向を見定め、長期的なビジョンを立て、各大学がそれぞれ可能な速度で変わっていくことである。この状況を想像した時、私(田中)が総長の時に策定した「自由を生き抜く実践知」という、法政大学の大学憲章を思った。

 「実践知」とはギリシャ哲学由来の言葉で、望ましい理想的なビジョンを描き、そこまで一挙に行かれないとしても、今日自分が立っているその現場で、その方向に動くための実践を怠りなくおこない、その実践のなかで新たな知識を得てさらに思考を進め、実践を更新していくことだ。それをおこない得ることが「自由を生き抜く」道程なのである。自由を生き抜くとは、周囲に流されることでも損得を考えて忖度することでもない。かと言って、頑なに孤立することでもない。世界と社会の現状を理解した上で、理想を創造的に追求し、社会的責任を果たしていくことなのである。

 大学は「要請」を受けているだけでなく、国からわずか 9%程度ではあるが経常経費補助金を受け、様々な特別支援金を配分されている。それらの金額は、厳しい基準をクリアしなかった場合は削られたり配分されない。そのために教員も職員も仕事量が増えている。しかし要請にも支援にも受験者数の減少にも背を向ければ大学存続はできない。だが補助金目当てに唯々諾々と従っていれば原点と方向性を見失い、大学の研究と教育の自由は失われる。

 その現実を総長は日々、痛いほど感じているのだが、コロナ禍の経験で、その状況から少し距離を置くことができた。何故なら、「ポストコロナ」は来ないであろうこと、パンデミックは地球温暖化と人の流動化のもとで、繰り返されることが明白だからだ。現状の設置基準に合わせた大学では、この変化に即応できない。従ってこれからの大学、特に私立大学に必要なことは、日本私立大学連盟のような連合体によって将来ビジョンを明確にし、大学設置基準や認証評価団体の基準の変更を要請しながら、迅速な改革に取り組むことだ。

 大学が変わるために必要なのは、「時間」と「空間」の考え方を根本から見直すことである。前述した「ポストコロナ時代の大学のあり方」の中間報告では、例えば大学設置基準第三十二条の「卒業の要件は、大学に四年以上在籍し」の削除を提案している。この基準はかねてから留学に際しても問題になっていた。リカレント教育の進展も妨げかねない。第三十二条五にある、卒業要件に関わるオンライン授業による修得単位数 60 単位の上限も撤廃すべき、とした。それとともに、第二十一条から二十三条に定められている、授業時間の種類別時間数、週数の規定を削除し、これらを規定ではなく「ガイドライン」とする提案をしている。

 さらに、大学の校舎校地面積が学生の収容人数との関係で極めて詳細に決められていることを取り上げ、学生の実験・実習、対面授業、課外活動、交流などの充実のために、余裕のある空間を確保することは基準とすべきだが、それは面積等による一律の規定に従うことではなく、各大学の独自性に立脚したものであることが望ましい、とした。大学の空間は「量」的評価から「質」的評価へと転換すべきなのだ。しかしこれまでの基準では転換に対応できない。そこで、第三十四条の大学施設に関する基本的な考え方を除き、第三十五条から第三十八条までの、運動場、校舎等施設、校地面積、図書館の資料及び図書館に関する基準面積の削除を求めている。

 体育会系などの部活動や、サークル活動、ボランティア活動などの各種活動がいかに重要かは、すでに述べた通りである。しかし必要なことは、その大学空間が常に学生に対して開いていて、そこに行くことで様々な体験や交流や議論ができることである。これからの大学空間は、多様な年齢の学生のために用意する必要がある。社会人も、大学で職場以外の交流を持つ機会は貴重なものとなる。

 提案した大学設置基準改定がどこまで実現するかはわからないが、大学が自ら今後の姿を描き、教員たちが学生とともに新たな地平に踏み出すことが、何より大切だ。

 

2021年9月21日 (火)

パンデミックと大学 ⑥

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  オンラインという「諸刃の剣」をどう使うか

 吉見俊哉は『大学は何処へ 未来への設計』(2021年、岩波新書)で、重要な警告を発している。オンラインは「諸刃の剣」で、大学教育を高度化させるツールにもなるが、もし「経営合理化やコンテンツビジネスへの展開にのみ役立てていこうとする方針を大学側が採用すれば」授業の質向上より人件費削減と質の劣化に道を開き、「大学の自己否定にもつながりかねないのだ」と。その上でこの先の大学が、世界が共有する「学問的な問い」を立て、その存在を「国民社会から地球社会に移行」することができるなら、「地球社会を基盤とする大学」になり得る、と述べている。

 従来、日本の大学がグローバル化を標榜する時は、大学の社会的な評判を高め、受験生を増やすという目的があった。考えてみれば、それは日本社会の内側のみで見た大学観で、今ほど深刻な状況ではなかったからこそ、そう考えた。しかしその発想を転換せずに大学のオンライン化に入っていけば、そこにはグローバル・ビジネスの世界に役立つ学生を、少ない教員を使ってオンラインで育てる大学、という姿が浮かび上がってくる。正に、諸刃の剣によって崩壊する道だ。

 江戸時代の藩校や昌平黌が朱子学を基本にしている時に、私塾では古義学、古文辞学、陽明学、蘭学(ヨーロッパの学問)、医学、軍事科学、オランダ語、英語、フランス語などを学びながら、議論の力を鍛えることができた。それは私塾で学ぶことが社会的な成功や出世と無縁であり、藩や幕府からの補助金も受けていなかったからである。

 本来私学は、国が行き詰っている時にその視界を超え、新たな領域を学ぶ場を造りだすことで、次の時代を作ってきたのだ。世界共通の課題を問いに立て、大学を議論の場所としていくことで社会の重要な知的インフラにするには、現在の大学設置基準や認証評価基準、そして何よりも入試の偏差値による大学の序列の固定観念が変わっていかねばならない。

 総長や学長を努めると、コロナ下でなくとも、大学が抱える課題の多さを理解することになる。国公私立の学長が集まって自由に語り合う「天城学長会議」という場を日本IBMが作っていて、総長のあいだはその世話人を努めていた。元学長の立場のかたが講演にいらした時、「入試はなくさないとだめど」という話をされた。心の中では頷いても、こういう話は「元」学長だからこそできるのだろうと私(田中)は思った。

 総長学長として「本学の入試をなくそう」と言ったらどうなるか。教職員の頭に浮かぶのは混乱状況である。可能性は二つ。入試希望者がほとんどいなくなるか、殺到するか、である。どちらにしてもお手上げだ。しかし先述した「通学制の学部を通信制に合体する」という事例を考えたとき起こることは、この「いわゆる入試」の撤廃と、授業料の値下げもしくは単位ごとの従量制への移行である。現在の固定観念で考えると、大学はやっていけなくなる。しかしそう言ってしまっては、地球社会を基盤としてどこにいても、どのような年齢でも、何回でも学べる大学などできるはずがない。

 私たちが今後問われるのは、今までとは異なる可能性が見えてきたとき、そこに踏み切れるか、である。

2021年9月20日 (月)

パンデミックと大学 ⑤

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  大学の「リ・デザイン」

 しかし、対面授業のない状況での学生たたの精神的な問題は厳然としてある。学生たちはスポーツその他の部活動、サークル活動、ボランティア活動、入学式、学位授与式、大学祭などによって多くの友人を得る。他者との交流には、人間としての多面的な学びがある。コロナ禍において、多くの大学教員が、それらを担っていた役割の大きさを痛感した。活動が制限されることで、精神的な健康、身体的な健康が損なわれるだけでなく、人間形成の機会を大幅に失う可能性がある。

 今後、各大学はその存在理由を問われる。極端なことを言えば、学位取得はすべてリモートで可能、となった時、地球上の様々な場所に立地しているそれぞれの大学は、いったい何のためにあるのか?

 それについて、総長を退職する直前の経験で、考えさせられた。郊外キャンパスの学生たちは、単位を取るためだけに大学に通い、急いで帰ってアルバイトに行き、というあわただしい生活を、リモートによって回避することができた。しかしそもそもそういう、授業を受けるためだけの大学生活は、大学の空間を活用していなかったことになる。郊外キャンパスは都心キャンパスに比べて広く伸びやかで、樹木の多い自然豊かな場所。さらに、海外を含めた諸方面から集まる学生たちは、異なる考えと異なる経験をもっていて、その異質な者との出会いや語り合いが、視野を格段と広くするはずだ。大学はそのことのもっている意味と価値を十分に認識して、交流の機会を作っていただいただろうか?

 むろん教職員が学生の交流を強制したり、過ごし方を指導するなどの介入はすべきでない。しかし空間を設計しなおすという方法で、今より活発な交流や議論の場ができるのではないかと気づいた教員たちが、建築設計を専門とする教員とともに、「リ・デザイン」という動きを始めた。教室空間で言えば、固定教具をなくすことや、教室の壁やドアなどを開放的なものにしていくことである。これはすでに小学校などでは始まっている。さらに、学生の日常の動線に「つい集ってしまう」空間を作り出すことである。バスから降りてそれぞれの学部棟に入って授業を受けて帰るだけでは、他学部の学生とも会わない可能性がある。そこで、学部棟とバスの間にある使われていないホールを活用することにした。

 具体的には、法政大学教授であり、数々の建築賞を受賞した建築家の小堀哲夫氏とともに、新たな空間作りに入っている。小堀氏はすでに梅光学園大学で、教室の壁やドアを可能な限り無くし、職員の固定席をつくらず、教員が通常は研究室に配置する本を学生たちが通る共通空間に並べるなどの試みで、学生同士、学生と教職員との関係が変わっていく試みを展開している。空間を変えることによって、大学とそれが立地する地域との関係も変わるという。

 近畿大学では、松岡正剛氏のプロデュースによって図書館を「アカデミックシアター」と呼ばれる空間に変えた。蔵書はそのままにして、開架は分野やジャンル(文字、ヴィジュアル、漫画など)を超えたテーマ別の配列とし、さらに地域の企業とものづくりの実験、交渉・打ち合わせをする空間を配置している。ここでも、学生の読書量が飛躍的に伸び、地域との関わりが深くなっている。

 つまり新しい学びは、二つの面からのアプローチが必要。ひとつはハイブリッド、ハイフレックスを利用して、感染、障がい、交通手段の困難、遠方居住、仕事との両立などの課題を抱えていても、自分の関心と能力に相応じい方法で熱意をもって学び続け、学位を取得できる仕組みにすること。これは大学の危機管理の面からも、必須。もうひとつは、学んでいるその大学の空間が常にその学生に対して開いていて、そこに行くことで様々な体験や交流や議論ができ、学びとその議論とを結びつけられることである。

 「学びて思わざれば則ち罔し、思ひて学ばざれば即ち殆し」という論語の言葉は学問の核心だが、個々が必要とする知識の獲得や学習はハイブリッドによってなされ、「思ひ」つまり情感をともなった思考は大学空間で深まる、という両輪を、これからの大学は多様な年齢の学生のために用意する必要がある。

2021年9月19日 (日)

パンデミックと大学 ④

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  「ポストコロナ時代の大学のあり方」

 日本私立大学連盟の政策研究部門会議は現在、「ポストコロナ時代の大学のあり方」という提言を準備している。その会議にゲストとして来ていただいた慶應義塾大学の中室牧子教授によると、米国は2006年にすでに、「通信による授業は卒業単位の50%以内」という規則を撤廃し、各大学で効果検証を続けている。その結果、対面のみ、オンライン授業のみに比べた場合、ハイブリッドが最も効果が大きいことがわかった。

 しかしオンラインは、元来、成績が低い学生たちには悪影響を与えた。そこでそのような学生に対し、「目標設定」をする科目を設け、自ら目標設定をさせたところ良い結果につながったという。

 大変よく分かる話だ。能動的になった時に能力を発揮できる学生は、本来能力のある学生なのだ。しかし今の大学はその能動性を引き出すのが困難だ。それぞれの異なる能力を開花させるのが教員の仕事である。それができる機会が目の前にあるのであれば、ハイブリッドとTAを活かした個人指導を始めるべきであろう。

 学生に合わせた個別指導が通常の方法になれば、生涯の何時であっても地球の何処にいても、何度でも学ぶ、いわゆる「リカレント(循環)教育」の進展も可能となる。履修証明プログラムや、複数の学位を取るダブルディグリーはすでに始まっている。遠隔で修士論文の完成を許可する大学もすでにある。MOOC(大規模オンライン講座)も世界中の多くの大学教員が実施してきた。ミネルバ大学の試みも知られ、もっと身近なところでは、通信制の大学や放送大学でも普及している。

 これらは、それぞれ規模や方法が異なる。例えばMOOCには世界に多くの受講者がいるが、同時に小規模の対話の仕組みを別にもっている。このような従来の試みを土台に、国内的、国際的な大学間連携によって、学ぶことを日常化できる。特に通信教育部をもつ大学は、通信制の大学との合体を視野に入れるべきだろう。

2021年9月18日 (土)

パンデミックと大学 ③

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  新しい学びの模索

 オンライン授業についてアンケートも実施し、勿論問題点もあるが、今までにない可能性も見えるようになった。大事なことは教員と学生、そして学生同士のコミュニケーションである。資料を読ませてレポートを書かせるだけでは、学生は他の学生と話し、授業中や授業後に教師に質問し、空気を探り、その場で答えをもらって腑に落ちる。質問と答、レポートとコメント、意見交換、愚痴の言い合い、他の学生の驚くような感想など、他者との出会いがある。しかしそれは本当に、対面でしかできないのだろうか?デジタルによる「新しい学びの模索」が、可能なのではないだろうか?それは教室授業より「学修者本位」という面で、もしかしたら、質の高い授業につながるかもしれない。

 電車と満員バスを乗り継いで交通費をかけながらキャンパスに通っていた郊外キャンパスの学生たちが、通学から解放されたのは確かだった。では、そこまでして大学という空間に通っていた意味は何だったのか?それは大学の授業の「単位」の考え方に理由がある。90分ないし100分を、履修届を出した学生が同じ空間に集まって14~15回受けることで成立する、と決められているからである。卒業単位は124単位以上で、4年間以上在籍しなければならない、と文科省は定めている。

 教室は、ゼミ室や実習室などの少人数授業用以外、全員が固定された教具によって一方向を向く教室空間だ。その教室空間によって授業方法は固定化されていた。教師は教壇から皆に向かって、とりあえず一方的に話す。教室授業で一人一人の学生と向き合うことは難しく、個々の学生の能力や関心に沿った教育は困難であった。特に留学生が一緒に受講する授業では、日本語を含めた理解度の違いまで考えず、「教員の考える」あるレベルで授業を進めていた。学生はそこまで追いついてくるべきだ、と漠然と思う傾向があった。留学生が多いと、話を留学生に分かりやすいようにと考え、もっと進みたい日本人学生が退屈する場面も経験してきた。

 そこで、一人一人の能力と関心に合った授業展開ができないものだろうか?オンラインの録画やオンデマンドであれば、時間数と回数は無意味になる。オンデマンドは勿論だが、時間を共有する双方向オンライン授業も、録画すれば何度でも受講できるからだ。すでに理解できている課題を飛ばすことも可能。対面とデジタルを組み合わせ、複数のTAを投入することによって、質疑応答や即座のコメントなど、個別指導の可能性が生まれる。さらに、学生自身が教師とともに目標を設定し、スケジュールを管理し、目標達成まで学ぶ流れを作ることも可能である。

2021年9月17日 (金)

パンデミックと大学 ②

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  経過が示す三つの要素

 この経過は、何を意味しているだろうか?第一に、大学のグローバル化だ。毎年多くの留学生を送り出し、迎えている。最初に起こったのはその中断だった。大学のグローバル化は地球全体の人の行き来の激しさ、グローバル企業の広がり、研究や情報のグローバル化の一環だ。そして急激な世界規模のグローバル化こそ、パンデミックの大きな要因だった。

 法政大学は SGU(スーパーグローバル大学)だ。この申請にあたっては学内でも「なぜグローバル化が必要なのだ」という疑問の声も聞こえていた。しかし研究と教育のグローバル化は研究者にとっても、世界が働く場となる学生にとっても不可避であり必須である。大学は世界の動きの一部なのである。今回はいくらか収束すれば留学は再開できるであろう。しかしパンデミックや災害はまたいつ起こるかわからない。デジタルによる留学や研究交流への道を、常に持っていなければならない。

 第二に、通信環境とオンライン授業開始にあたってのドタバタは、すでに始まっている教育手段の急激な拡大によるものだった。法政大学は通信教育部で、インターネットを介した教育を日常的に行っていた。通学制の学部でも、コロナ前から画像や動画を使うことは当たり前で、もはや黒板とチョークだけで教育をできる場所ではなくなっていた。学生が自分で配布資料をダウンロードし、個々に教員からの情報を獲得し、授業の一部が配信できる学習支援システムもあった。NHKと提携して番組視聴と対面での議論を組み合わせる反転授業も存在した。JMOOC(日本版大規模オンライン講座)のコンテンツ制作や大規模授業のオンデマンド化は、狭い都心キャンパスの教室を少しでも余裕あるものにするために、「長期ビジョン」の一環として計画的に進められていた。それが、双方向オンライン授業のほぼ100%の拡大を、数週間でしなければならなくなったのである。

 学生もすでにデジタル・ネイティブ世代であった。日常的にはスマホ使用者であることから、パソコンの使用を強いられ通信環境も整えねばなくなったわけだが、しかしインターネットを使ったことのない学生はほとんどいなかった。つまりこれはすべて「準備中」であったからこそできたことで、黒板とチョークの時代であれば授業は完全にストップだっただろう。インターネットの普及とグローバル化と世界規模の人流もも相互に関わっている。大学はやはり、その世界の動きの一部なのである。今後の課題は、学ぶ学生の立場になって、その質を急速に高めていくいくことである。

 第三に、学生の経済的困窮が明らかになり、精神的課題が問われたことである。両方とも、人流・交流が絶えたことで起こった。この二つのことが、今後、大学として考えねばならない重要な課題だ。

 経済的問題については、完璧にカバーしたとは言えないまでも、政府の「高等教育の修学支援新制度」が間に合った。しかし同時に私学への授業料減免が廃止されたのだ。そこで従来の学内の給付型奨学金の枠を広げ、新たな奨学金を作り、オンライン授業のTA(ティーチング・アシスタント)というかたちで学内雇用を広げた。奨学金の拡大は今後も税制改革を中心に政府に要望し続けねばならないが、大学としてはこの学内雇用のTAという存在が今後、ハイブリッド授業の継続に大きな役割を果たすのではないかと考えている。

 精神的な課題については、「大学とは学位をとるだけの場所ではない」という大学の存在理由を改めて痛感する重要な契機となった。大学は多様な人々が「出会う」場所なのである。聞いたこともない意見を聞き、知らなかった地方や海外の状況を知る。人の弱さや強さに接し、言葉を交わし理解し合うことの大切さを実感する。このための「場」を今以上に有効な場として創造することは、今後の大学にとって、重要な点になるであろう。

2021年9月16日 (木)

パンデミックと大学 ①

田中優子(法政大学名誉教授・前総長)さんの小論文を述べる。「世界 9」より:コピー・ぺー

  2020年、大学に何が起こったか

 COVID-!9に由来するパンデミックが起こってから本稿を執筆している2021年6月現在まで、約1年半経った。すぐに元通りになると考えていた大学の授業は、対面授業とそれができない状況とが、いまだに交互に繰り返されている。このまま「元通りになる」ことを祈りながら同じことを繰り返すわけにはいかない。大学が新たな地平に乗り出す好機なのだ。

 法政大学の危機対策は、2020年1月末、中国から急遽学生を帰国させる決定から始まった。帰国対象範囲はたちまち世界中に広がった。同時に留学する予定の外国人学生たちは入国できなくなった。当時総長であった私(田中)は、危機対策本部の本部長として危機対策本部会議を頻繫に開催、状況分析と情報交換を行った。4月からはどうしても新学期を始めねばならない。ガイダンスも必須。2月段階ではまだそれができると考えていたので、新学期を開始するために、学位授与式、入学式の中止を決めた。しかし3月になると、対面によるガイダンスも授業の開始も不可能だとわかってきた。

 そこでまず、開始を4月21日からとした。そして通信環境の整わない学部生・大学院生へのWi-Fiルーターやパソコンの無償貸与、通信環境整備費用の補助、大学の学習支援システムとサーバーの増強、双方向型オンライン授業のツールの導入を次々に決めた。アカウントを学生にも渡し、学生どうしのコミュニケーションも可能にした。これらを使ってオンライン授業を早めに試行し、連休後からは本格的に授業開始ができるようにした。とにかく授業を始め、学生が単位を取得できるようにし、卒業が滞らないようにする責任がある。

 オンライン授業はなんとか始まったが、双方向に対応できない教員もいた。そこで教員のための「オンライン授業ニュース」を配信した。新入生がまったく大学に来られないなかで、その精神的な状況が気になり、私(田中)は学生にあてて「総長から皆さんへ」の連載を始めた。学生の経済的困窮もわかってきて、様々な給付型奨学金の拡充や新設をおこなった。学生に有償でオンライン授業のサポートに入ってもらう学内雇用の拡大も実施。

 数ヵ月で大学は感染回避の方法を学んだ。マスクの着用を義務化し、入り口に学生証の読み取り機と非接触型体温計を置き、消毒用アルコールとパーテーションを様々な処に配置、席をあけて座らせるなどの対策で、人数制限をしながら対面授業を実施する方法があること、授業だけであれば感染は回避できることがわかってきた。

 しかし大学は小中学校と異なる。遠くから電車を乗り継ぎ、長時間かけて通学する学生が少なくない。教室で給食を食べるわけではなく、学内外の食堂で友人と食べる。帰りにはどこによるかわからない。アルバイト先でどのような対策がなされているか見えない。体育会では合宿所や同じアパートに暮らしている学生が多い。キャンパス複数あり、法政大学の場合、ひとつの郊外キャンパスは駅からバスに乗らねばならない。特に朝は混雑する。そこで対面授業をするにしても、郊外キャンパスの登校者数を管理しなければならなかった。

 中高では対面授業をやっているのになぜ大学ではやらないのだ、という声があり、文科大臣すらそう考えているようだった。しかし大学の授業が学生や教職員のいかなる移動で成り立っているのか、現場にいれば誰でもわかる。他方で、双方向に不慣れな教員によるオンライン授業で学生がどんな思いをしているか、課外活動ができず友人も作れない状況が学生にいかに精神的な負担を強いているかも、手にとるようにわかる。そこで後期になると、感染拡大の合間を縫い、実習、実験授業を優先して一時的に対面授業を再開した。

 大学に来るようになると、対面授業とオンライン授業が混在するので、オンライン授業をどこで受講するのか、という問題があった。そこで、いくつかの教室を解放した。ゼミなどでは、対面授業を行いながら、来られない学生のためにオンライン授業を併用する方法が始まった。ハイブリッド、ハイフレックスの自然発生である。授業はこうして少しずつ工夫して進化していった。

 しかし問題は学生たちの精神的状況だった。そこで学生センター長を中心に、感染予防を徹底して対面で「大学祭」を実施したのである。この経験は大きかった。学生たちは大学祭を実現するために感染予防を徹底的に学んだのだ。

 

 

2021年9月15日 (水)

Science 口腔粘膜上皮性異形成病変に対する蛍光診断の有用性 ⑥

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4. 上皮性異形成病変検出のための 5-ALA を用いた蛍光診断の有用性

 これまで述べてきたように、臨床所見等からは口腔癌と判断困難な48例のうち、33例が赤色蛍光を示し、その内訳は扁平上皮癌20例、上皮内癌3例、上皮性異形成10例(高度異形成4例、中等度異形成4例、軽度異形成2例)であった。

 一方、赤色蛍光を示さなかった症例は15例あり、その内9例が軽度異形成、6例がその他の病変であった。これらの結果を総合すると、当科において実施している方法による 5-ALA を用いた蛍光診断は、初期口腔癌の診断に関しては感度100%、特異度57.1%である。

 しかしながら、実際の臨床現場において予後を重視する治療的観点から、最近提唱されている上皮性異形成を低異型度群(軽度異形成および一部の中等度異形成)と高異型度群(一部の中等度異形成および高度異形成)の2群に分類する方法 (Binary system) によると、この蛍光診断法は感度100%、特異度71.4%~88.2%であり、より臨床現場での対応の判断に有用な診断法ということができる。今後はさらに症例数を増やし、この診断法の上皮内癌、初期浸潤癌および上皮性異形成病変(特に高異型度病変)に対する診断の信頼性を高めるとともに、歯科医院や健康診断におけるこの診断法の普及に努めていきたい。

2021年9月14日 (火)

Science 口腔粘膜上皮性異形成病変に対する蛍光診断の有用性 ⑤

続き:

 これに対し図8 (略) においては、右側舌縁部から口底にかけて、境界比較的明瞭で不整形を呈する白色病変が認められるが、硬結等の所見はなく、臨床所見からは白板症と考えられた。本病変に対して同様にヨード生体染色を行うと、白色病変にほぼ一致して不染域が認められ異型上皮の存在が確認された。

 しかしながら5-ALAを用いた蛍光診断を行ったところ、白色病変部には赤色蛍光領域の存在は認められず、また同部のデジタル画像に対する色度分析の結果でも赤色蛍光部位は確認されなかった。病理組織学的には、錯角化の亢進と先端に丸みを帯びた上皮脚非規則な伸長、さらに棘細胞層では細胞間橋の不明瞭化とそれに伴う細胞配列の軽度不正がみられた。

 また上皮層の基底側1/2程度の範囲には、核腫大、核小体の明瞭化、核濃縮を示す基底細胞様細胞の多層化がみられ、低異型度異形成(中等度上皮性異形成)と診断された(図9 略)。

 上の2症例は、いずれも臨床所見からは白板症が疑われ、ヨード生体染色法で異型上皮の存在が確認された症例である。しかしながら 5-ALA を用いた蛍光診断において、一方は赤色蛍光が認められ病理組織学的に高異型度異形成(高度上皮性異形成)と診断され、もう一方は赤色蛍光が認められず病理組織学的には低異型度異形成(中等度上皮性異形成)であった。このように、5-ALA を用いた蛍光診断は、従来報告してきたような上皮内癌や初期浸潤癌だけでなく、上皮性異形成病変の検出、さらにはその異型度の推定にも応用できる可能性が明らかとなった。

2021年9月13日 (月)

Science 口腔粘膜上皮性異形成病変に対する蛍光診断の有用性 ④

続き:

3. 5-ALA の口腔癌蛍光診断への応用

 2013/07/01~2019/09/30の期間に鶴見大学歯学部附属病院口腔内科を受診し、臨床所見等から明らかに口腔癌と判断できる症例を除いた 48 例に対して、本法 (5-ALA)を用いた診断を行った(鶴見大学歯学部倫理審査委員会 承認番号 1049)。その結果、扁平上皮癌(20例)、上皮内癌(3例)に対しては感度 100%、特異度 100%であった。また、上皮性異形成病変 (19例)のうち赤色蛍光を示したものは10例で、その内訳は高度異形成4例、中等度異形成4例、軽度異形成2例であった。さらに、赤色蛍光を示さなかった異形成病変9例はいずれも軽度異形成であった。

 このことから、本蛍光診断法は従来報告してきたように、初期浸潤癌や上皮内癌の検出に有用であるのみならず、口腔粘膜における上皮性異形成病変の検出・把握にも有用である可能性が示された。そこで、次に赤色蛍光を示した異形成病変と赤色蛍光を示さなかった異形成病変それぞれの代表的症例を供覧する。

 図 6a(略)においては、右側舌縁に辺縁不明瞭な軽度の白色病変が認められるか、硬結等の所見なし、臨床所見からは白板症と考えられた。本病変に対して通法のごとくヨード生体染色法を行うと、白色病変部にほぼ一致して不染色域が認められ異型上皮の存在が確認された(図 6b 略)。さらに 5-ALA を用いた蛍光診断を行ったところ、同様に白色病変部にほぼ一致した赤色蛍光域が確認(図 6c 略)、同部のデジタル画像に対する色度分析の結果、病変辺縁部に比較して中央部でやや赤色蛍光が強いことが確認された(図 6c 略)。

 病理組織学的には健康状態の粘膜よりフロント形成(正常上皮と異型上皮との明瞭な境界形成)を伴い、滴状の上皮脚を形成する萎縮性の異型上皮基底層では、濃染性でC/C 比(核と細胞質の面積比)の高い基底細胞様細胞の不規則な多層化と、一部の表層を除く上皮層全体に異型細胞が認められた。また、上皮下にはリンパ球を伴う間質反応に加え、一部リンパ球の上皮層内侵入等により基底膜構造の不規則化がみられるものの、明らかな浸潤像は認められず、高異型度異形成(高度上皮性異形成)であった(図 7 略)。   続く。

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